医学部受験を完勝するために(5)

2014年7月14日

その5:小学校時代に何をしておくべきか(その5)

(1)医学部受験に完勝するには、私立入試に勝つための読解力が必要

前回は、地元の公立小学校において行われる授業が「広い視野で考える」姿勢を身につけるのに役立ち、それが中学受験・医学部受験に完勝するためにかえって必要である旨を私は説明いたしました。そこで今回も、小学校時代から医学部受験に備えるためのポイントについて別の観点から説明していきます。

そこで今回は、「読解力をつける」という点に関して説明していきます。この点について「医学部受験に読解力が必要なのか」という疑問も出てくると思います。それについては、いつも次のように私は保護者の方や生徒諸君に説明しています。

直接的な必要性では、言うまでもなく当面の私立中学入試です。そこでは、試験科目に必ず国語があります。理科や社会のない入試であっても、国語と算数は試験科目として課されるのが一般的です。そして、この場合では問題文には、かなり高度な文章が出題されます。また、入試以前の問題として大手塾の公開模試等の国語においても、出題される問題文では難度の高い文章が出されるはずです。いずれにせよ、模試等の国語に関しては、「手持ち」の読解力がそのまま試される場面であると思ってください。むろん、間接的な必要性については、よく教育評論家等が述べていることですが、「読解力が低いと、結果として物理や数学の文章題を読みこなせなかったり、解答の解説文が理解できずに正解への過程がわからなかったりする事態がたびたび起こっている」といった点も十分にいえることでしょう。しかしながら、私としては保護者の方や生徒諸君に対して、読解力はあくまで試験としての国語の設問で正答を得るために必要である旨を、常に第一義として強調してきました。すなわち、国語の試験に勝つための実戦的な読解力こそが必要なのです。では、そのような読解力は、果たしてどのようにすれば得られるのでしょうか。

(2)まず保護者の読書習慣が大切

この点に関しては、どうしても読書のことに触れなければならないでしょう。読解力の要請については、読書経験の有無が大きなウェートを占めることに対して異議を唱える人は皆無に近いでしょう。確かに、日々読書に親しんでいる生徒とそうではない生徒とでは、読解力に大きな差が出る可能性があります。例えば、同じ問題文を読み解くにしても、前者と後者では読むスピードや漢字・語句の理解度、要旨の把握等々で大きな差が現れることは否めません。このことから、読書経験は、おそらく問題文を読み解く際における基礎をなすものであると考えられます。しかし、これは逆説的な言い方ですが、読書はあくまでも基礎をなすものである点を、私は敢えて主張いたします。つまり、基礎はできており問題文も十分に読みこなせるが、結局与えられた設問に対して正答を得られなければ無意味ではないか、ということです。もっと、はっきりと言いましょう。すなわち、問題文を読みこなせることと、設問での正答は決してイコールではない、といことです。そうであるならば、今後の方針としてどのような対策が考えられるでしょうか。

この点に関して説明する前に、前述のごとく基礎としての読書は先決問題ですから、これができているか、習慣化されているかが大切な確認事項となってきます。読書は基礎工事に当たりますから、まず取り組まねばならない学習習慣です。しかし、この点についてさらに確認しておかなければならないことは、保護者の方の姿勢です。それは、保護者諸氏に読書の習慣があるか否かです。これは当然といえば当然のことですが、子どもは俗にいう「子は親の背を見て育つ」という現実です。例えば、保護者が忙しさにかまけて本を読んでいない場合、あるいはスマフォのゲームに興じて他を顧みない場合、いかに「読書をしなさい」を声高に叫んでも、子どもたちに読書の習慣をつけさせることはできません。保護者が自然な形で本を手にし、また本を読む楽しさを平生から子どもたちに語っていたならば、読書の習慣は楽に実現できます。実に、子どもの読書習慣ために必要不可欠な要件は、保護者の読書習慣なのです。

もう少し、具体的な事例を挙げましょう。例えば、家族旅行で電車を使って移動するといたします。私が以前見かけた光景は、お父さんとお母さんがそれぞれスマフォのゲームに熱中し、子どももまたPCゲームに必死でした。このような状態では、もはや保護者の「読書をしなさい」は通用しません。もし、本当に子どもに読書習慣をつけさせたいのであれば、最低限子どもの前では読書をしている姿を見せるべきでしょう。詳しい読書の方法についてはまた回を改めて述べますが、とにかく保護者の姿勢次第で出発点が決まると考えてください。

(3)模試等の問題文を、読書の対象として捉える

では、基礎工事が終了したとして、今後の方針としてどのような対策をとっていくべきかを説明していきます。すなわち、試験としての国語の設問で正答を得るために必要である読解力をいかに養成するかに関しての、私の考えです。この点について、結論を先に述べましょう。それは、国語の問題文をしっかりと読むことです。「なんだ、当たり前のことではないか」という反応が返ってきそうですが、事はそう簡単ではありません。私のいう「しっかりと読む」とは、問題文を読書の対象として捉えるという方法です。それでは具体的にどうすればよいのでしょうか。

それは、模試等を一応終了した後で、再度その与えられた問題文を熟読することです。生徒諸君は設問に答える段階で、当然問題文には目を通しています。しかしながら、多くの生徒諸君は一度解いた問題に関しては、「正解か不正解か」や得点・正答率には興味を示すものの、同じ問題文をもう一度読むことに対してほとんど興味を失っているのではないでしょうか。むろん、解答・解説を読んで「なぜ間違えたのか」を追求することはするとは思いますが、問題文に対するそれ以上のアプローチは行わないでしょう。否、通例として「国語では同じ問題を二度もする必要はない」という思い込みが、保護者の方や生徒諸君にもあるのではないでしょうか。

それでは、さらにこの読書法について具体化してみましょう。

①公開模試等のテスト問題を1部コピーします。そして、その後元のテスト問題における問題文の生徒諸君による書き込みをできるだけ消して、きれいにします。さらに、きれいにしたものを1部コピーします。その2番目にコピーした模試等の問題文のみを鋏で切り取ります。切り取った問題文を、ノートに貼り付けます。(この場合、模試等の問題を余分に1部もらえればコピーは1回で済みます。ちなみに1番目のコピーは保管用です。)

②そのための専用のノートを用意してください。ノートは最低3冊用意して、問題文を物語文、詩、説明文に分類して各々別々にノートに貼り付けていきます。その時には、問題文の空欄などは埋めておきます。後で読む際の便宜のためです。

③これら3冊のノートに貼り付けた問題文が、すなわち生徒諸君にとっての読書の対象となる文章です。このような問題文を、模試等を受けるごとに貯めていくのです。それは実際に模試等に出題された文章であり、“貴重な文集”となります。入試に出る可能性も十分考えられます。

④貼り付けた問題文がそれぞれノート1冊分貯まったら、最初から読み返してみます。生徒諸君はだいたい定期的に模試等を受けるので、すぐに文章は貯まってくるはずです。小学校4年生ぐらいから模試等を受けていれば、6年生段階では“文集”は質・量ともにかなり立派な内容になっていると思います。

⑤では、読み返す場合には、どのようなことに注意すればよいでしょうか。その際には、よく意味の分からない漢字・語句は辞書などを使って調べてみます。その時には、保護者の方や先生にも質問して、周囲を巻き込んで楽しみながら進めていくことをお勧めいたします。もしかしたら、辞書だけでは得られない面白いお話なども聞けるかもしれません。

⑥ここまで来れば、先ほどの①においてきれいに書き込みを消したテスト問題を、再度演習してみます。きっとすらすらと問題が解けるに違いありません。その理由は簡単です。生徒諸君が、その問題文に対して相当の親近感を得たからです。これが、お勧めの読書の方法です。このような読書を繰り返していけば、模試等出題の問題文を読むわけですから、入試の国語対策のための実戦的な読書になります。しかも、貼り付けたノートはカバンやリュックにも簡単に入るため、車中やちょっとした待ち時間にも広げて読むことができます。

⑦さらに、この読書を続けていけば、思わぬ副産物も期待できます。それは、いわば単なる問題文の読書にとどまらない、発展形としての読書の始まりです。例えば、ある問題文を読むとします。模試等掲載の問題文は、ある本の一部から引用されたものです。つまり、ある文章の断片に過ぎません。このようなとき、生徒諸君の中には、「この物語の続きが読みたい」や「この説明の先が知りたい」という気持ちになった場合もあるのではないでしょうか。そのときには、その機会を逃さず、原本である本を手に入れて読んでみることを是非お勧めいたします(模試等では必ず、どの本から引用・転載したかが記されています)。そうなってくると、それはもう一般的な読書と何ら変わらない形となるでしょう。

以上が、私のお勧めしたい実戦的な読書法です。模試等の問題文を切り取って貼り付け、それを集めて読むという方法は受験勉強のための読書であり、保護者の方には抵抗を感じる向きもあるかと思います。しかし、私は読書という営みは目的に応じてなされるものであると考えています。もちろん、「楽しいから」という動機もあるでしょうが、それだけでは医学部受験そして完勝という難事を越えゆくための読解力はつかないし、国語の偏差値も上がりません。そこで、私としては保護者の方や生徒諸君に対して、試験としての国語の設問で正答を得るため読解力の養成に関して今回、説明いたしました。それでは、次回はまた別の観点から、医学部受験を完勝するためのポイントについて解説していきます。

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医学部受験を完勝するために(4)

2014年6月17日

その4:小学校時代に何をしておくべきか(その4)

(1)学校教育について

前回において、私は小学校の時期において、中学受験後の6年間の大切さを考え、その過程の重さについて言及いたしました。その過程では重要な自我同一性(アイデンティティidentity)の獲得があり、途上での思春期独特の反抗期もありえますが、このような場合においても威力を発揮するのは、医師という仕事についての動機付けである点を強調いたしました。すなわち、「何のために医学部を目指し医師という仕事を選ぶのか」という点について小学校の時期から固めておくとよい旨を説明いたしました。そこで今回は、小学生として「現在通学している学校の授業」の受け方について説明していきたいと思っています。

まず現在、生徒諸君が公立の小学校(以下、「学校」と略す)に通っていると仮定します。公立の小学校ですから、中学受験の勉強は一切行われません。これは当然であり、公立小学校では、卒業後は地元の公立中学校にそのまま進学するという前提の教育課程が組まれているからです。否、さらにいえば学校教育法に基づく前期初等教育という位置づけでの授業が行われていることは申すまでもありません。それは端的にいえば、学校教育における授業では「試験問題を解く」といった専門的なことよりも、基礎的・基本的な学習内容に重点が置かれているからです。つまり、学校教育に求められているものは、子どもに、基礎的・基本的な内容を確実に身に付けさせ、自ら学び、自ら考え、主体的に判断し、行動し、より良く問題を解決する資質や能力、自らを律しつつ、他人とともに協調し、他人を思いやる心や感動する心などの豊かな人間性、たくましく生きるための健康や体力などの「生きる力」を育むことです。

(2)学校の授業をおろそかにするのは得策ではない

そこで、生徒諸君の中には学校の授業の方を軽視して、塾や家庭教師の授業を重視してしまう傾向が顕著に見られるのではないでしょうか。私は、このような傾向ははっきり言って好ましくはないと考えます。それは、決して学校教育法でいうところの普通教育を重く見るといった建前論ではありません。あくまで将来の医学部受験を見据えた、試験勉強という点から云々しているのです。つまり、医学部受験そして合格のサポート役を長年務めてきたプロ教師としての見方から、「平素における学校の授業をおろそかにするのは得策ではない」と言いたいのです。では、なぜ学校の授業をおろそかにしてはいけないのでしょうか。

その理由は、学校における教科指導はそのままでは受験勉強には役立ちませんが、基礎的な学習内容をチェックしつつ、最も大切な「広い視野で考える」という姿勢を学ぶには非常に適しているからです。では、なぜ学校の授業で「広い視野で考える」姿勢を学べるのでしょうか。その理由は、学校の授業は受験用ではないために、「入試に出る、出ない」という観点からではない様々な角度からの学習が可能だからです。

例えば、学校における教育課程では、小学校5年生の時点で「水溶液の性質」について学習します。本単元では、酸性・中性・アルカリ性があること、気体が溶けているものがあること、金属を溶かすものがあること等々に関して、実験を通して学習していきます。これらの学習活動を通して学校教育では、水溶液の性質とその働きについて、見方や考え方を持つようにするとともに、水溶液の性質や働きを多面的に追究する能力や、日常生活に見られる水溶液を興味・関心をもって見直す態度を育てたいと考えています。

(3)学校の授業は、「広い視野で考える」姿勢を養う絶好の機会

まず、このような学校における理科教育では「実験」に重みが置かれています。子どもたち一人ひとりに実験をさせるのか教師実験であるか否かはわかりませんが、とにかく実験がメインになっている点は見逃せません。もちろん、最近の塾でも実験を取り入れるところも増えていますが、それは特別イベントとしての位置づけに過ぎないようです。また学校の授業では、教師が子どもたちに実験を通して考えさせることを大切にしています。そこには、仮説や検証・考察の過程があります。さらに、日常生活との関連にも話題はリンクしていきます。これはかなり迂遠な方法に映りますが、考えようによっては「広い視野で考える」姿勢を養う絶好の機会であると、私は考えます。これは学校の理科における実験を伴った単元の例ですが、実験の有無にかかわらず他の理科の単元や、広く他の教科においても授業展開はおおむね同じようなプロセスを経ていきます。

翻って塾の授業はどうでしょうか。塾での指導では当然、学校で行っているようなプロセスを踏む余裕は、まず存在しません。このような「水溶液の性質」という単元は、おそらく塾の授業では「入試に出る内容」を説明した後、問題演習と解説を行っていくでしょう。入試に出題されない学習内容は切り捨てられるか、あるいはさらっと通り過ぎる程度ではないでしょうか。むろん、塾の講師はプロ教師ですから教え方は非常に上手であると考えられます。加えて、授業内容も生徒の興味・関心を高められるようにプログラムされていると思われます。それは、入試に合格するという観点から捉えた場合では、生徒に「ムリ・ムダ・ムラ」のない指導法を実践してくれると思います。しかし、塾の授業では、入試一辺倒になるため視野が狭くなることは否めません。

次に学校の授業では、当たり前の話ですが、その後のテストの心配はほとんどありません。これは、大人でもわかる感覚ではないでしょうか。テストというものが特別に好きな子どもはあまりいないでしょうから、せっかく実験を楽しんだ後テストがあると思ったなら、のびのびと考えるゆとりは生まれにくいと思われます。あるいは、次の公開模試に出題されると先生から指摘されたならば、考えるよりも暗記しなければならないという気持ちが先行してしまうでしょう。また、テストという他の生徒との厳格な比較がなされる緊張感も先行してしまうことは、想像に難くないでしょう。むろん学校の授業であっても単元ごとの小テストのようなものはあるかもしれませんが、難易度は公開模試その他の入試関連のテストとは比較にならないはずです。順位や偏差値を競うようなこともないでしょう。

この点にも私は、学校における教科指導の重要性があります。それは、学校の授業では前述のごとく塾のような難易度の高いテストがありません。つまり、テストという強制力が働かないわけです。しかし、これは逆にいえば、自主的・自律的に考える姿勢を培うにはとても良い条件が与えられているということです。テストという強制力がなくても考えていくという学習姿勢は、「広い視野で考える」ためには必須の条件ではないでしょうか。「入試に出る、出ない」という観点から学習内容を捉えていくと、どうしても視野が狭くなってしまします。学校における教科指導では、この点でも視野の拡大に資するでしょう。

(4)医学部受験に完勝するには、日常的な思考力の鍛練が重要

以上のように学校教育における教科指導では、子どもたちは実験も含めた学習のプロセスを通じて考え、かつテストを意識しなくてもよいので、全体的に見て「広い視野で考える」には持って来いであるといえるでしょう。そして、ここまで述べてきたならば、賢明な読者は既にお気づきだと思われますが、このような「広い視野で考える」行為は第1回において述べた中学受験における出題傾向の変化に対応しています。すなわち、知識・情報の量ではなく、知識・情報を基にして自分なりにどう考えるのか、という形態の「考える力」を重視した出題です。それは、「なぜ、そうなるのか」を自分の言葉で説明する記述型の問題の増加に代表されるものでした。

これらの点は私が先に述べたごとく、医学部受験そして合格のサポート役を長年務めてきたプロ教師としての見方から、「平素における学校の授業をおろそかにするのは得策ではない」と述べたことと繋がってきます。また、これも第2回において述べた、大学入試における得点率の高い記述式問題の現況を考えても納得していただけるのではないでしょうか。このような記述問題に対応するには、単なる受動的な学習過程ではない、日常的な思考力の鍛練が物を言います。これまた、知識・情報の量ではなく、知識・情報を基にして自分なりにどう考えるのか、という「考える力」が要請されるのです。

したがって、「現在通学している学校の授業」の受け方については、より積極的に取り組んでいく方が良いでしょう。塾や家庭教師の授業で「先に学んでいる、知っている、もっと難しいことを習っている」というプライドはひとまず捨てて素直になることが大切です。もっとも学校の先生にも知識や指導力の差はあるかと思いますが、こちらから求めていく姿勢が大切です。この素直な姿勢は、今後の受験勉強でも大切な点はいうまでもありません。頑ななプライドばかりだと、頭も柔軟に働かなくなってしまいます。そうなってくると、将来「伸び悩み」が生じる可能性もあります。そんな詰まらないことが原因で医学部入試に失敗したら、それこそ「安いプライドが高い」と揶揄される結果を招きかねないでしょう。

以上、今回は学校の授業が「広い視野で考える」姿勢を身につけるために必要である旨を説明いたしました。それでは、次回はまた別の観点から、医学部受験を完勝するためのポイントについて解説していきます。

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医学部受験を完勝するために(3)

2014年5月26日

その3:小学校時代に何をしておくべきか(その3)

(1)中学入試は決してゴールではない

前回において私は、医学部に進学実績の高い私立中学の入試問題が変貌してきた背景には、医学部における将来的に望まれる医師像がある点を理解していただくことでモチベーションアップに繋がる点に関して述べました。そこで今回は、この点を受けて小学生時代から将来を見据えて、医学部入試に完勝するために必要な別のポイントについて述べていきます。

すでに医学部受験に関しては、高いハードルを越えていかなければならない状況や、それが中学入学後において6年間の長きにわたる実情について説明いたしました。今回は、これから医学部受験を完勝することを目指すに当たり、来るべき中学受験おいて確認しておきたいことを述べていきます。それは、合格後の6年間という長い時間における勉学への取り組み姿勢に関する内容です。

この点に対して保護者や生徒諸君にとっては、「まだ志望中学の入試にも合格していないのに早すぎる」という声も聞かれそうですが、実はそうではありません。それは、端的にいえば中学受験は決してゴールではないという点です。むしろ、入学してからが本当の勝負であるということを最初に確認しておかなければ、受験だけでバーンアウトしてしまう可能性もあると思ってください。今回は、そのための確認です。

(2)中学・高校生の6年間は思春期と重なっている

6年間は長丁場です。これは保護者の方に特にお願いしなければならない点ですが、成人以上の立場から見る6年間と、中学・高校生のそれとは時間の重みがまったく異なるということです。といいますのは、子どもたちはこの6年間において、心身ともに大きく変わっていくからです。それは、いわゆる思春期を通過する時期であるということです。この間において、子どもは大人へと目覚めていきます。それは身体的な発達とともに、知的な発達が急ピッチで成し遂げられる6年間でもあります。いわば、自己形成の時期です。

発達心理学の知見を引けば、思春期は「私は誰?(Who am I?)」という質問に対して、「自分は自分である」ということに気づく時期であるともいえます。それは、身体的な発達である第二次性徴が契機となります。つまり、正確な自己像を発見することによって、「自分はこうなりたい、こうである」という自我同一性(アイデンティティidentity)を獲得する時期です。また、「やりたいこと、そのすべてを実現することはできない」という全能感の否定も起こります。このような知的な発達は心理学において「認知能力の発達」と称されますが、勉学にとっては「諸刃の剣」とも考えられます。それは、心情的にポジティブにもネガティブにもなりうる、ややこしい時期でもあるからです。つまり、このような認知能力の発達は、勉学上におけるモチベーションに大きな影響を与えるのです。したがって、この時期がちょうど6年間という医学部受験のための準備期にぴったりと重なっている点については重視しなければならないでしょう。では、どういった対応が必要なのでしょうか。

(3)成功体験の積み重ねが大切

まず大切なことは、この6年間においては、成功体験を数多く積み重ねることをお勧めいたします。と同時に、失敗体験に関しても対処の仕方、乗り越えるための気構えなどを学んでおくべきです。具体的には、中間テストや期末テスト・学年末テストにおいて満足できる成績をとり続けることです。この点に関しては直接的には医学部入試と関係ないように思われがちですが、それは大きな誤解です。そこで、次にこのことについて説明していきます。

これは特に難関私立中学に入学した生徒諸君に多い傾向ですが、成績不振に陥るケースがあります。つまり、地元の公立小学校では常に好成績を収めていたのに、晴れて志望中学に入学した途端に成績が下位の方になってしまうという状況です。しかし、この点については当然といえば当然です。それは、公立小学校では学力到達度や順位というような精度の高い学業成績を明確に保護者や生徒に提示することはなく、また最初から難関私立を志望している生徒諸君にとって小学校の成績自体はあまり気にならなかったからでしょう。また、これも当然ですが公立小学校では受験合格を目指した勉強は一切行われません。この点でも、学校での成績については無頓着にならざるをえないと思われます。そのため、難関校合格をターゲットにしている生徒諸君にとっては有名大手塾の公開模試の成績に一喜一憂するのが精いっぱいだったのではないでしょうか。しかしながら、今度は違います。生徒自身がほぼ毎日通学している学校の成績が、定期テスト等でははっきりと突きつけられるのです。

そして、難関校に入学すればこれもまた当然すぎることですが、周りのクラスメートもよく勉強ができます。同じ難関受験を潜り抜けてきたライバルたちですから当たり前ですが、多くの保護者や生徒諸君は定期テスト等の成績表を見るまでは、実感が沸かないというのが実際のところらしいです。これは、私の教え子の話ですが、無事灘中に合格したのはよいが、一学期の成績順位では下から数えた方が速かったそうです。彼は、それを「灘中ショック」と呼んでいました。決して笑い事ではありません。これは、別にトップクラスの私立中学にだけいえる現象ではないでしょう。なぜなら、いま現に生徒諸君の通っている私立中学は同じレベルの入試を突破してきたわけですから、力の拮抗は当然の結果なのです。

さらにいえば、私立中学では義務教育段階で既に高校内容の学習単元が下りてくることが一般的です。例えば国語では古文において、中二段階で用言の活用を習います。学校によっては、これが中一段階になる可能性があります。いずれにせよ、古文用言の活用は公立中学校ではさらっと流す程度にすぎません。かかる私立中学の学習課程の目的は、いうまでもなく高二段階ですべての学習単元を終えて、高三では入試対策に特化した授業を展開するためでしょう。むろん、公立中学のように土曜日が休みということもありません。夏期休業日も公立中学よりもはるかに少なくなっています。

ゆえに、このような状況下で成績不振に陥れば、もう医学部受験というレベルの話ではなくなってしまいます。モチベーションも当然下がってくるでしょう。否、それ以前の問題として、通学や授業そのものが憂うつになってしまうのではないでしょうか。ここに、前述のごとき「やりたいこと、そのすべてを実現することはできない」という全能感の否定が起こりますが、それが極端に拡大してしまえば生徒は非常に苦しい現実に立たされてしまいます。これが中高年の大人であれば、適当に自分をごまかすこともできるでしょう。しかし、思春期の生徒諸君では、そんなに軽く片付ける術を持ちません。前記のように、正確な自己像を発見することによって、「自分はこうなりたい、こうである」というアイデンティティを獲得する時期ですから、自己評価も厳しくなる可能性が高いでしょう。まして、医学部を受験し、かつ合格するという高いハードルがあるわけですから、他の学部志望の生徒諸君より一層事態は深刻であるといえます。そういうわけで、思春期における認知能力の発達は、まさに勉学にとっては諸刃の剣です。

(4)医師という仕事を選ぶに際しての動機付けの確認が大切

したがって、私立中学に入学した生徒諸君は、定期テスト等に対してしっかりと勉強のスケジュールを立て、一回一回の試験を勝っていかなければなりません。こう書くと「大変だなぁ」と最初から嫌になってしまいそうですが、そこは、否、それこそポジティブ思考を存分に働かせてください。すなわち、一回一回のテストが医学部入試のための練習であると捉えていくことです。周囲が皆同等かそれ以上の能力を有するライバルですから、練習の相手としては決して不足はないはずです。すなわち、役不足ということはないと思います。そのような数々の場面にて成功体験を積み重ねることで、自己評価もしだいに高められていくことでしょう。むろん、満足できない成績の出ない場合もあると思います。しかし練習ですから、この時を鋭く捉えて、失敗体験に関しても対処の仕方、乗り越えるための気構えなどを学んでおくべきです。その際には、保護者の方からの適切なアドバイスが功を奏すると思います。

ただし、この時期には思春期独特の反抗期というものがありえます。そこで、このような場合において威力を発揮するのは、医師という仕事についての動機付けでしょう。何のために医学部を目指し医師という仕事を選ぶのか、という点について小学校の時期から固めておくとよいでしょう。この点に関しては、1回目において私が述べたことも参考にしてください。すなわち、いわゆる受験勉強の中で、今行っている勉強がそのまま将来の仕事に直結しているのは、医学部受験だけであるという点です。このようなこの点を思えば、今真摯に勉強に励んでいる自己自身はとても恵まれていると思ってください。

それでは、次回はまた別の観点から、医学部受験を完勝するためのポイントについて解説していきます。

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