医学部受験を完勝するために(1-1)

2014年4月22日

その1:小学校時代に何をしておくべきか(その1)

(1)医学部受験という高いハードル

医師になるためには、いくつかの高いハードルを越えていかなければなりません。その中で、もっとも難関なのが医学部入試です。実は、半世紀ほど前までは、医学部入試は現在ほど難関ではありませんでした。ところが、1958年に国民健康保険法が制定され、61年に全国の市町村で国民健康保険事業が始まりました。そこで、「誰でも」「どこでも」「いつでも」保険医療を受けられる国民皆保険体制が整いました。これにより、医師の収入が保険収入によって安定してきた頃から、しだいに医師志望者が増加してきました。しかも、近年では医師不足が叫ばれていますので医師という職業は今後一層、重要視されてくることでしょう。そして、現在のような難関としての医学部入試の状況が出来上がっていったと思われます。 

いうまでもなく、医師という職業は苦労も多いが、魅力に溢れています。おそらく、医学部志望の高校生は全国でも一学年に数万人はいるでしょう。しかし、そのうちで受験に成功し晴れて入学できるのは毎年約9000人であるといわれています。つまり医師になるには、かなり厳しい“受験戦争”をくぐらなければならないのです。

(2)医学部受験は、受験勉強そのものが仕事に直結している

これは非常に大切なことですが、いわゆる受験勉強の中で、今行っている勉強がそのまま将来の仕事に直結しているのは、医学部受験だけであるという点です。むろん、これに準ずるものとしては歯学部や獣医学部も考えられるでしょう。看護学部や薬学部もそれに近いと思われます。 では、それ以外の学部ではどうでしょうか。

例えば、法学部の受験を考えている高校生の全員が、弁護士などの法曹界で仕事をすることを志望しているわけではないでしょう。法学部を卒業して公務員を目指している高校生も多いはずだからです。また、医学部受験の場合、「ここは有名大学なので取りあえず、この学部でいいや」という姿勢で受験する高校生も皆無であると考えてよいでしょう。つまり、「この大学であればどの学部でもよかった」などという考え方での受験は、まずあり得ないということです。したがって極端なことをいえば、この逆はありえます。すなわち、学費のことを考えなくても済むのだったら「医学部であれば、医師になれるのであれば、どの大学でもよい」と。

いずれにせよ、要するに医学部を受験するのは「医師になるため」と強く思っている高校生が大半ではないでしょうか。すなわち、医学部受験のための勉強は、将来の仕事と直に繋がっている営みなのです。もちろん、医学部に入学しても、膨大な量の専門の勉強を継続していかなければなりません。ぶ厚い専門書を脇に抱えて歩く医学生を、私は何度も目にしています。彼らは、それを理解するだけではなく覚えないと卒業できません。しかしながら、医師国家試験の合格率は今や90%前後に達しています。加えて、医学部を卒業しておれば、医師国家試験を繰り返し受けることが可能です。つまり、医学部に合格し真面目に6年間の医学生生活を送れば、ほとんどの人が医師になれるのです。こんなにはっきりとした人生の道筋は、あまり例がないといえます。これは受験勉強それ自体が将来の医師という明確な職業に直結しているという、医学部受験ならではの実像といえるでしょう。

(3)差がつきにくい算数

医学部受験を考え、医師という仕事に就きたいと考えている生徒諸君はもう小学生の間から、中学受験を視野に入れて日々勉強にいそしんでいることと思います。否、逆にいえば医学部受験は小学生の時期からはっきりと意識して取り組んでおくべきです。そこで、今回から近未来における医学部受験をにらんで小学生時代にしておくべきことに関して述べていきます。まず、最初は算数からです。

はっきり言って、小学生でかつ医学部受験を考えている生徒諸君には、算数が好きで得意というタイプが多いようです。それは、保護者の方が医師である場合、子どもの思考様式がどうしても理系に傾くという現実があるようです。この点に関して、私はいわゆるDNA云々をあげつらうつもり毛頭はありません。むろん、それも多少はあるでしょうが、今まで多くの生徒諸君に接してきた経験から申しますと、保護者が医師の場合には、ご自身も算数・数学や物理が好きかつ得意というケースが一般的でした。それは、きっと医学部での修学時代における実験実習や日頃の仕事において、数理的な定量分析や検査を当たり前のように熟してきたからでしょう。そうなってきますと、日常生活でも数理系の話題や思考パターンが如実に現れることもしばしばでしょう。それが生徒諸君に少なからぬ影響となって顕在化するものと、私は考えます。

例えば、私が見聞したケースでは算数の問題の解法をまるでゲームのように、あるいはクイズのようにして親子で遣り取りの会話をしているシーンがありました。その状況を後で保護者の方に尋ねてみますと、返ってきた答えが次のようなものでした。「算数だと具体的な知識があまりいらないから、頭の中だけでお互いに考えることができるから」と。なるほど、そうかもしれません。これが社会科等のある程度の知識が必要なものだと、どうしても人生経験や今まで蓄積された情報量に左右されます。しかし、算数ならば一定のルールさえ覚えておけば、あとは理屈だけです。いわば、「子どもにもわかる」という明解な教科であるといえるでしょう。また、物理なども、特に理論物理ならば「紙と鉛筆だけで理論構築ができる」と言ってのけた科学者もいたくらいです。

しかしながら、ここで上記のような状況を考えてみるとき、私は逆にある危機感を覚えます。それは、将来の医学部志望における生徒諸君がこのように算数を好きかつ得意とするならば、この教科に関しては「差が出にくいのではないか」という点です。つまり、算数については「できて当然」ということです。

むろん、灘中や東海中などの国立大医学生を多く輩出しているような難関校を受験して合格するには、独学では大変であると思われます。このような学校に合格するには、専門とする塾に通ったりプロ級の家庭教師に習ったりする必要があるでしょう。このような塾や家庭教師といった専門家は、それこそ難関中の過去問や類題についての解法等を徹底的に指導してくれます。しかし、この点に関しても、いうまでもなく大概の保護者や生徒諸君は心得ているのではないですか。そうであるならば、このような状況では、私のいう「差が出にくいのではないか」あるいは「できて当然」が、ますます迫真性をもって理解されることと思います。では、その他にできること、否、しておかねばならないこととは何でしょうか。

(4)日頃あまり顧みられない計算問題を独学で固めておく

それは、計算問題に習熟しておくことです。先ほどの、算数をゲームのようにして親子で会話していた例では、計算問題のような問題ではなく文章題や図形の問題でした。その生徒が言うには、「計算問題は面倒くさいから扱わない」とのことでした。しかし、ここで一考すべき点は、ほとんどの生徒が塾や家庭教師に学んで難しい問題に慣れ親しんでいる以上、最終的に鼻の差で合否を左右するのは、むしろ日頃あまり顧みられない計算問題ではないでしょうか。よく生徒諸君からの声では、「計算ミスをして模試の順位が下がったので悔しかった」「せっかく式ができたのに最後の計算でポカをやった」等々を、私は過去に何回も耳にした記憶があります。この場合、「単なる計算ミスだから、たいしたことはない」という甘えは禁物でしょう。そんな甘えは厳しい「医学部への道」では通用しません。むしろ「1点の差」を重んじるべきです。

いうまでもなく、難度の高い文章題や幾何の学習については、塾や家庭教師等の専門家に教えを請えばよいのです。しかし計算問題であるならば、独学でも十分に練習ができます。さらに計算問題というのは、一度解き方のルールさえ覚えれば自分でどんどん先に進むことも可能でしょう。別に低学年であっても、そのルールさえ会得すれば入試レベルの計算問題にもチャレンジできるはずです。これほど簡単に実行できて、しかも近い将来における中学受験に役立つ自学自習はないのではないでしょうか。長い間の生徒と接してきた経験から、私はこの試みを是非お勧めいたします。

以上、私は今回において医学部受験という高いハードルから話を進め、次に医学部受験が仕事に直結している点を述べ、さらにこれらの点を受けて小学生の時期には算数では計算問題を独習すべきことについて説明いたしました。次回は、小学生時代において医学部受験・合格を目指す上で何をしておくべきかを、別の観点より解説していきたいと考えています。

カテゴリー:医学部受験のツボ

「一冊の辞書」の精神

2014年4月1日

まだ夜になると肌寒いものの、徐々に桜の咲く気配を感じさせる時期になった。
いよいよ、入学・進学・進級の季節だ。特に今年の受験をした学生や生徒にとっては、身の回りのものも、通う環境も、ほとんどが新しく変わり、不安もある反面、期待感に胸膨らませていよう。

また、来年のあるいは何年か先の受験に向けて新たに勉強に取り組む決意を固める人も少なくはあるまい。

特に国立大学医学部合格を目指す人にとっては、相当の覚悟をもって取り組むことが求められる。ところが、その「覚悟」の程度が、わかりそうで非常にわかりにくいものが現実だ。なぜなら、今は「学校」もある「塾」もあり、さらには「予備校」もあるから、その中で課題をとりあえずこなしていけばどうにかなると見えてしまいがちだからである。しかし、実はそれらはあくまで「ツール」であって、合格するために最も重要なのは、間断のない日々の研鑽に向かう心である。

ところで、「赤毛のアン」の訳者・故 村岡花子氏をモデルにしたNHKの連続テレビ小説「花子とアン」の脚本を書く中園ミホ氏は、物語の中で「欠乏しているからこそ夢を見る。」そんな主人公の強さを物語の軸として描くことになった。もちろんこの主人公の状況は「極貧」の中にあるから、医学部を目指す受験生がいる経済的環境とは、雲泥の差があろうが、しかしそうではあっても、「求めて止まぬ気持」は、夢の実現には最も強い力を発揮するのではないだろうか。

その「熱き想い」を今でも訪れる者に味わわせてくれるのが、何と代表的なオフィス街である大阪市の中央区北浜三丁目に現存し、1976年(昭和51年~1980年(昭和55年)の文化庁による解体修理を経て一般公開されている、建物が国指定重要文化財でもある「適塾」である。現在の大阪大学医学部の前身とされている。

「適塾」は、蘭学者・医師として知られる緒方洪庵が江戸時代後期に大坂・船場に開いた蘭学の私塾であり、正式には「適々斎塾」と言い、「適々塾」とも称される。緒方洪庵の号である「適々斎」が名の由来とされている。

その歴史をもう少し細かく見ると、1838年(天保9年)洪庵が瓦町(現在の大阪市中央区瓦町)に蘭学塾を開き、1845年(弘化2年)に現在の地にあった商家を購入して移転。1846年(弘化3年)大村益次郎が入門、1855年(安政2年)には、後に「慶應義塾」を創立する福沢諭吉が入門している。

1862年(文久2年)に洪庵が江戸幕府奥医師および西洋学問所頭取になり、江戸に移住。塾生の教育には緒方拙斎(養子)が当たった。ところが、1863年(文久3年)に洪庵が江戸で客死してしまうこともあり、1868年(明治元年)に閉鎖に至り、適塾30年の幕を閉じることになる。

関係者のその後についても見ておくと、1869年、後藤象二郎大阪府知事、参与小松清庵の尽力により、東成郡東高津村八丁目寺町(現在の大阪市天王寺区上本町四丁目)の大福寺に浪華仮病院および仮医学校が設立される。院長は緒方惟準(洪庵の次男)、主席教授としてオランダ軍医ボードウィンを招き大福寺の施設の提供を受けて、一般の病気治療と医師に対する新治術伝習のために開かれた。半年で鈴木町(現在の大阪市中央区法円坂二丁目)の河内県庁跡(もと大坂代官所。のち南司農局。現在の大阪医療センター付近)に移転した。緒方惟準、緒方郁蔵(義弟)、緒方拙斎らがこれに参加。浪華仮病院および仮医学学校は、改組・改称を経て現在の大阪大学医学部となっている。つまり、緒方家と大阪医学部とは深い繋がりがあるということである。

ところで、適塾の門下生の自筆による姓名録が残っており、1844年(弘化元年)から1862年(文久2年)までの636名の姓名・入門生・出身地が記録されている。現在の都道府県で出身地を分けると、山口県が56名で最も多く、洪庵の出身地の岡山県は7名となっている。また、青森県と沖縄県を除いて、北は北海道から南は鹿児島県まで全国から入門している。主な門下生としては、「池田謙斎(東京帝国大学初代医学部綜理。日本では初となる医学博士号を受ける。)、佐野常民(日本赤十字社初代総裁。)、高峰譲吉(科学者、発明家、実業家。世界初のアドレナリンの発見。胃腸薬タカジアスターゼで巨万の富を築く。)、手塚良仙(漫画家・故 手塚治虫氏の曽祖父。)、本野盛亨(子安峻らとともに読売新聞社を創業。)などがいる。

もちろん、今適塾に行ってもそれらの人々の子孫が住まいしているわけではないが、その場所で門下生が熱き思いで学んだドラマが蘇るのである。私は、二度訪れたことがあるが、その当時の仕事の関係で必要に駆られて行ってみることにしたのだが、外観からの印象とは裏腹に、入ってみるとかなりの広さを感じる。2階建で、塾生たちは2階で寝たらしいのでが、階段を上がったすぐの所は、季節によっては非常に寒くなることもあるので、そこには一番後輩が寝ることになり、入門の古い順に奥の方へと並んで寝ることになり、一番奥が一番の先輩ということになり。これだけのことなら、どこの学校のクラブの合宿にもありそうな話かもしれないが、寝床とは別の場所に、厳重かつ丁重にガラスケースに収納された一冊の分厚く大きな蘭学の辞書がある。ケースにある説明書きには、門下生の学んでいた当時からその辞書は一冊しかなかったようである。だから彼らは、先輩に敬意を払い、同機には譲歩しつつも、貪欲にその辞書を読む必要があったのだ。みんなが眠った後も、時間を惜しんでこの書物を必至で読む姿が臨場感をもって、ありありと見えるのである。

「学問」には、この「欠乏感」と「貪欲な精神」がいるのだ。とりわけ「医学」にあってはなおさらだ。

「真理」を探り当てるためには、どんな苦労も惜しまない。そしてその苦労をすることを誰かに強制されてのものではなく、自ら湧きでる止むに止まれぬ心なのである。

適塾に近くには「懐徳堂」もあり、江戸後期、大坂における学芸の中心を果たし、戦後大阪大学に継承され、同大学文系の基礎となった。

江戸後期には、儒学中心の「藩校」や「寺子屋」など「教育」の場が普及していく時期であったが、その時期に「私塾」も全国的に増加する時期であった」。「松下村塾」にせよ「鳴滝塾」にせよ、それらに集まった人々は「学びたい」という求めて止まぬ熱い志を持っていたにちがいない。

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