論説文を初等教育段階から得意にしていく方法 (4)


~その4:「要点のつかみ方」を学ぶ~

実際に論説文の問題を解く際にとても大切なことを、今回は教えていただきます!
連載第四弾です!

(1)「要点のつかみ方」の会得が正答への道

  前回まで2回に分けて私は、しっかりと「疑うこと」の大切さを強調いたしました。それは論説文の筆者が文章を書く際において、過去の論者の見解や現状に対して、「他に良い考え方や方法があるのではないか?」と疑問を発して考え、実験・観察や資料分析を行い思索してきた成果を学ぶことに通じます。換言すれば、「疑うこと」で論説文の思考に近づくわけです。こういう訓練を初等教育段階から頻繁に行っておれば、論説文のもつ論理性に早くから慣れることができます。
  そこで今回は、実際の論説文を読んでみて、その「要点のつかみ方」について述べていきます。これは前回までの「疑うこと」の練習を通じて、ある程度「読むこと」「書くこと」に慣れてきた状態から、「論説文の問題を与えられた際にいかに対処していくか」という方法の基礎となる内容です。それは、「要点のつかみ方」を会得することで、与えられた文章を迅速かつ正確に処理し、設問に対して正答を得る道に直結するからです。
 では、次のような文章を読んでみましょう。
  
【文章】
居場所は、人間にとってプライバシーの確保されている場所という性質をもっている。プライバシーは、自分が一人でいたいときには、一人でいることができ、また家族の人や友達と一緒にいたいときには、皆と一緒にいることのできる自由な状態のことをいう。それは、出入り自由の状態といってもよい。
例えば、一人で考え事をしたいときには、他人がその場所に来ることを拒むことができ、また誰かと世間話でもして一緒にいたいときにはそうすることができるという意味で、出入り自由な状態である。
人間が一人ぼっちでいたいと思うときに、そうなれない場合には、プライバシーがない状態ということになる。また、友達と一緒にいたいと思うときに、友達から拒否されて寂しい思いをするときにも、その人間はプライバシーをもっていない。
もちろん(1)、友達にも都合があるから、自分が会いたいといったら、必ず都合をつけてくれるとは限らない。しかし(2)、「今寂しいの」とか、「悩んでいるの」と告白したら、心配してくれて、何とか都合をつけて会ってくれるのが友達であり、そのとき、人間はプライバシーをもっているといえるであろう。
プライバシーの状態のもとでは、人間は孤独になりたいときには孤独になり、孤独が嫌になったら皆と一緒にいることができるという、いわば孤独の状態についての出入り自由の権利をもっていると言い換えることができる。
ところが(3)、社会的孤立の状態では、孤独の状態への出入り自由の権利が拒否されている。社会的孤立は、社会への出入り自由の権利が拒否されている状態である。
一人でいることと、街の雑踏の中にいること、そして自分の心が休まる集団の懐でほっとできること、そして集団感情に浸ることの安心さ、人間はこうした矛盾した状態を自由に使い分けることができるとき、社会で気持ちよく生きていくことができる。
このように考えると、プライバシーは人間にとって、社会においていろいろな人間関係を営んでいくうえでの基礎となっていることが明らかになる。
(出典:藤竹暁『生きるために必要なこと』講談社1997年 一部改)
  

(2)「強調の逆接」にまず注目する

 この文章は一見、かなり難しいように感じます。しかし、論説文としては素直な構成であると思われます。なぜなら、筆者の言わんとすることが文章の最初と最後に明確に述べられているからです。つまり、段落及び段落を読めば、だいたいにおいてつかめます。これくらいのことは、ある程度長文問題に慣れている小学生であれば理解できるのではないでしょうか。また、文章中において波線で示したように、「プライバシー」というキーワードもはっきりしています。今回はこのような基本を周知のものとして、さらに突っ込んだ説明をしていきます。
 その第一は、接続表現に関しての説明です。それは、一般的には接続詞とか接続語とか称される文章表現ですが、私は論説文の読解においては広い意味で接続表現とよんでいます。そして、このような接続表現の中でも最も重視したいのが、いわゆる逆接の接続表現です。逆接には普通、「が」「だが」「しかし」「けれど」「けれども」「だけど」「ところが」「とはいえ」「それでも」等があげられます。文章表現上の使い方としては、「前の文と対立する内容か、反対の概念を表す」場合が多いでしょう。これはまさにその通りなのですが、逆説には、他の使い方があります。それは強調です。すなわち、「強調の逆接」といわれる使い方です。そこで、次のような簡単な文章を読んでみてください。

この店のかつ丼はうまい。しかし、高い。

 この文章では、「うまい」が言いたいのでしょうか。それとも「高い」が言いたいのでしょうか。いうまでもなく、それは「高い」方でしょう。このように、「しかし」という逆接を文と文の間に挟むことで、「高い」が自然と強調されてくるのです。つまり、この簡単な文章の要点は「この店のかつ丼が高い」ということです。そこで、このような「強調の逆接」に注目することで、与えられた論説文における要点も上手くつかめるのではないでしょうか。
 そこで、この観点から前記の文章を見てみると、「しかし」と「ところが」が使われていることがわかります。特に、傍線部(1)・(2)に注目してください。「もちろん」と「しかし」がセットになっています。「もちろん」は逆接ではありませんが、「一度相手の議論を受け入れてから反論・反対して、自分の主張を述べる」場合に使われます。つまり、一度相手に譲歩してから自己主張をするわけです。このような「もちろん~しかし」の構文では、筆者が意識するとしないに関わらず相当の強調が働いていると考えてください。したがって、「しかし」の後ろにある「プライバシー」云々の記述は、かなり重要であると思われます。
 さらに、傍線部(3)の「ところが」もまた逆接ですので、この後に続く内容は非常に重要であると考えられます。確かにそう考えて読んでみると、「社会」との関係という今まで文章中に登場しなかった新しい指摘が書かれています。この点については、段落における結論部分と結びついた内容であることはもはや申すまでもないでしょう。

(3)「例」は軽く流して読む

 第二は、論説文における「例」についての説明です。「例」にあたる部分は、筆者が要点を記述していくための手段にすぎません。申し訳ないですが「例」は読者、否受験生にとってはあまり大事な内容ではありません。すなわち、段落における内容は段落を説明するための単なる手段もしくは材料にすぎないのです。段落も同様です。それも、段落を説明するための単なる手段もしくは材料にすぎないのです。 
 このような点に気をつけて読めば、かなり長い論説文であっても短い試験時間内で要点を捉えることができるのではないでしょうか。論説文は以前にも書いたように、論説文とは「筆者が自己の意見を、様々な説明をしながら時には具体例を引いて主張している文章」ですから、どうしても具体例の部分が多くなります。このような「例」の部分を取り去れば、一見長くてうんざりするような論説文であっても、あまり驚くことはなくなるのではないでしょうか。特に理系の論説文では、実験・観察の過程が事細かく書かれている場合が多いですから、端的にいえばそれが全部「例」である可能性が高いでしょう。社会系(政治や経済、国際関係等)の論説文もまた歴史や現状に関する説明がくどくどと書かれているケースがあり、これまた「例」であると判断して軽く流して読んでいってください。
 このように考えてみると、この文章全体の要点は、次のように捉えることができます。すなわち、「一人でいることと、自分が心休まる集団の懐でほっとできることを自由に使い分けることができるとき、人間は社会の中で気持ちよくいきてゆくことができる」となります。
  以上のように今回は、「要点のつかみ方」の会得について説明いたしました。次回は、もう少し難解な文章を扱ってみます。

ありがとうございました。
次回のためにも、今回の要点はしっかりと抑えておきたいですね!

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