中学受験 夏が来る前に


受験生よ、算数を語れ!!

いよいよ夏本番ですね・・・!
その前に心がけることとは・・・?!

「ここまで無事実力を発揮できていて順風満帆の小学6年の中学受験生は、暑いけれども、夏を乗り切って、さらにバージョンアップをねらいましょう。」

要するに、こういう子供たちだけなら、夏期講習中に二食の弁当を作らなければならないことも、上の子・下の子のことも考慮に入れた送り迎えの時間調整、子供たちの体調管理など、家事や仕事もこなしつつ、お母さんもお父さんも大変だけれど、気持ちは「前向き」で「明るく」、最難関校に通うわが子の姿をほぼ現実的なものとして心に描き、猛暑でも心地よい汗を流せるだろう。

ところが、4・5年生の頃は偏差値も高く、最難関校を目指していたのに、6年生のこの時期になって、公開テストなどの成績が伸び悩むどころか、低迷してしまっている子供はどうすればよいか。

たしかに、どの科目も底上げするのが重要なのは当然だが、かといって夏休みまでは学校もあり、その後は夏期講習で塾付けになる。だから、時間の制約が大きい。

そこで、「算数」の復讐に特化させるのである。なぜなら、本番で一番得点差が出るのは「算数」だからである。材料は、まず小6になってからの公開テストなどの大きなテストの問題・自己解答・正解・解説・ルーズリーフのノートである。

勿論、解けたものはもういい。バツになったものが、今解けるかである。たしかに学校によって、傾向もレベルも相違はあるが、しかし、基本となる解き方は共通する。

多分塾生は、テスト終了後のそんなに日が経たないうちに、間違い直しをしたり、解説授業も受けているはずである。だから、その時は「あっそうか!!」とわかった気になったはずである。実は、その気持ちはその問題の解き方を最初に塾で習ったときにも感じているのである。

算数の「こわさ」は、ここにある。

社会や理科の一部、または国語の漢字や語句の意味は、知っているか知らないかがはっきりするので、自分でも学習の成果が実感しやすい。

ところが、算数は「理論」だから、塾の先生が論理的に板書しながら、具体的な例を挙げて上手に説明してくれてると、誰もが「よくわかる」と思わずうなずき、「よくわかった」気になって家へ帰るのである。しかし、2・3日するかしないうちに、「さぁ、問題を解いてみよう。」と机に向かっても、それこそチンプンカンプンということになる。

だから、本格的に夏が始まるこの時期から、「わかってたはずなのに、解けなかった問題」にもう一度挑むのである。「わからない」と実感できたものは、まず解説を読もう。わからなかったらもう一度読もう。まだ、わからなくても次は声を出して読みながら、ルーズリーフのノートにそのまま写そう。そして、次の日は解説を見ずに、前の日のページはいったんはずし、次のページに一から書いて見よう。途中で書けなくなったら、そこから解説(あるいは前の日のページ)を見て、赤で書こう。それを次の日も繰り返す。(勿論これは、一日一問ずつに限定しているわけではない。)

でも、これで「わかった」とは決して思ってはいけない。大事なのは、ここからなのだ。ルーズリーフに書き貯めた答に至る過程を、「ひとがわかるように語る」のである。

では、ここでの「ひと」は誰に協力を仰ぐかであるが、友人も考えられるが、彼らも自分のことで精一杯かもしれない。それなら兄弟(姉妹)はどうか。でも、年の近い場合は、変にからかったりしてけんかになるかもしれない。

そこで、多忙であるのは重々判っているが、ここはお父さんやお母さんにご協力頂き、生徒役になってもらいたいのである。

実は、この生徒役は、お父さんやお母さんになってもらうことこそ効果が発揮されるのである。その理由は二つある。

一つ目は、我が子の「解説」が筋道立っているか、あるいはどこかに欠落や曖昧さなど不整合なところはないかを見抜くことができるはずだからである。

本当の教師なら、「わからない子」に「わからせ」なければならないが、ここで受験生に求めているのはそうではない。大人から見たときに論理的な解き方になっているかである。つまりは、入試に求められるのはその視点だからである。

二つ目は、さらに重要である。

「中学受験」は、人生を左右しかねないステージだということである。

中学受験をする我が子の周りを見ると、山ほどのライバルがいるように見える。

しかし、実際は小6の1割にも満たない子供たちしか中学受験はしない。

つまり、9割以上が公立中学(又は内部)へ進学するのである。

公立中学へ行き、クラブや習い事などにも励む一方、塾へ通い勉強も頑張って私立最難関や北野高校文理学科に合格する子もいる。

ただ、そうならない子供の方が圧倒的に多い。

ここで、大事なのは、将来の大学進学である。

医学部は勿論、国立大学合格を願う(我が子は小さいので、実感は持っていなくても)なら、6年間どこの中・高で学ぶかは、子どもの成長にとって極めて重要なことである。実際、現在も合格実績上位を占めているのは、従来からの私立最難関の常席校である。

そこで、我が子をその前提となる中学受験レースを断念させるか、それとも力を出し切って、やれることをすべてやり切らせるのかの判断は、やはりまだ幼い子供には無理なので、親がすべきなのだ。勿論、できる限り客観的に冷静に判断することが重要だが、大事な我が子のことだけに、少々主観的になってもよいと思う。

中学受験は、最難関校に合格してこそ意味があるのだ。決して、今の偏差値で行ける学校という発想をしてはならない。

よくあるのは、不本意な中学校に進学し、不完全燃焼の解消を図って、高校受験に実績の大きい進学塾に通わせる結果、学校と塾との膨大な宿題の山を消化できず、結局はどっちつかずになり、内部進学を選択せざるを得なくなり、子供が頑張ろうとしたことが徒労に終わるというパターンである。

それならば、高校受験で最難関校を目指す道を選んだ方がよいのではないか。しかし、先程も触れたが、同学年の9割以上が挑む試験では、より狭き門となる。さらに、甲陽や洛星や神戸女学院などはそもそも高校受験を実施しないのが通例である。

ここで、「算数」を伸び悩んでいるか、低迷している子供の話にもどそう。

本当に「算数」が苦手な子が、「反復解説書き写しノート」の作成とそこで理解した解き方を「語る」ことで力は付くのか。

必ず力は付く。

なぜなら、「算数」を「語る」ことで、「左脳」と「右脳」が同時に動き、脳全体が活性化するからだ。

決して「頭の良さ」は脳そのものの程度を言うのではなく、「脳の働き」だからだ。

一般に「左脳」は分析や論理性などを、「右脳」は全体把握や情緒など司ると言われている。

勿論、記述することも表現ではあるが、自分が書く行為とその書かれたものを他者が読むという行為を同時進行で行うのは困難であるから、普通書いてから他者の評価を待つしかできない。

ところが、「語る」場合、表現する者の行為と他者の「聴く」という行為がほぼ同時に行われるために、語っている内容が正しければ聴く者はうなずくし、非論理的なことを言えば、すぐに聴いている者は怪訝な顔をするはずなので、語っている者は、頭の中を巡らせながら修正しようとすることになる。

実は、このトレーニングは、「算数」の力の向上に役立つに留まらず、言語力にも大きなプラスの効果をもたらすから、「国語」の力の向上にも当然役立つ。

こう述べてくると、これらのことを実行するのは、大人がするとしても、大変なことのように見える。それを小学6年の子供がするのだから、事実簡単なことではない。当然やる気でやらなければ無理だろう。

しかし、その強い精神力こそが、中学受験志望校合格達成の鍵である。

中学受験は、正しく「ドラマ」である。結末に至るまでの波濤が大きければ大きい程、最後に得る感動は大きいのである。

本格的な「夏」真近の今、伸び悩んでいる・低迷している中学受験生、熱く”算数を語れ”。

ありがとうございました!
暑い夏に負けないくらいの熱い気持ちを持ちましょう!

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